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2010.08.01 Sunday

地球温暖化と熱中症

夏の日に

冷房つけなきゃ

あの世行き



ここ最近熱中症で人が次々死んでいるというニュースを見ると、やっぱり地球は温暖化しているんだ!寒冷化どころじゃない!と安易に考えがちであるが、どうもそうではないらしい。まずこれは都心部などで顕著な話だが、アスファルトからの照り返しと、ビル群に風が遮られて熱がこもる、というもの。それから昔の日本家屋は湿度を調整できるという、なんとも素晴らしい造りになっていたのだが、今の欧風式のものはそうなっていない、というもの。こうした事によって日本の夏は昔よりも「暑く」なり、それに順応しきれていないお年寄りが亡くなりやすくなっているのだ。恐らくそうだと思う。

お年寄りの皆様、夏はまだまだこれからです。最近では季節がズレこんで10月くらいまで暑いです。冷房費は夏にかかる税金だと思って、まず暑さ対策を万全にしましょう☆

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2010.07.03 Saturday

パク・ヨンハと反日と嫌韓流

☆先日ニュースで俳優パク・ヨンハの訃報を知り、正直驚いてしまった。これが他の韓国俳優だったらさほどでもないかと思うが、パク・ヨンハについては特別知っていたので、少なからずショックですらあった。なぜ知っていたかと言えばそれは言わずもがな、「冬のソナタ」である。そう、私はこう見えて「冬のソナタ」を全話見たのである。今から5年ちょっと前、いわゆる韓流がもてはやされだした頃、「この眼鏡の『ぺ』とかいう男のどこが良いのか?」と思い、狂喜する人たちを冷やかに見ていたものだが、1.まったく見もしないで批判もできんわな 2.そんなに面白いというなら俺を感動させてみせろ! という思いで、「冬のソナタ」を1巻から見る決意をした。

で、見てみるとまあ面白い。かなり荒唐無稽な話ではあるが、ハマる人の気持ちも理解できる。パク・ヨンハの役はジウ姫を想うがまったく報われないというカワイソーな役どころ。情感たっぷりの挿入歌もなかなか良いと思った。(カラオケでも歌った)これ以降韓国ドラマや映画はほとんど見ることはなかったが、「冬のソナタ」はそれなりに印象に残る作品だったとは思う。しかし世間では圧倒的な韓流の反動からそのアンチテーゼとして「嫌韓流」も台頭した。そして韓国の反日ぶりや竹島問題が顕在化すると「嫌韓」はさらにヒートアップ。「朝鮮人は人に非ず」といったような差別的な言説がネットを中心に散見されるようになった。


そうした人たちは今回のこの訃報をザマーミロと嘲っているのだろうか。実際これが報じられた直後、そのような書込み等を目にすることが少しあった。私は韓国による竹島・対馬の不法占拠は断固許されない事だと思っているし、かつての朝鮮統治も当時の世界情勢を考えればやむを得なかった事だと思っている。「嫌韓」は愛国を標榜する事が多いように思うが、匿名で人を差別的に罵る行為は日本人の道徳観から大きく逸脱している。しかもパク・ヨンハは親日家であったというからまた切ない。韓国では親日家を処罰する法律まであり、親日は社会は容赦なく抹殺される。彼は反日で歪んだ韓国社会の犠牲者とも言えそうだが、日本における「嫌韓」もその裏返しで同じ病理を孕んでいるとは言えないだろうか。

「日韓友好」という言葉が叫ばれて久しい。しかし現実に行われているのは互いに「排除」する事、そして(日本側の)必要以上の「許容」である。AさんがBさんにアドバイスや要望をする事はあっても、Bさんの人生を決定する権利(主権)はあくまでBさん本人にある。だから前首相が「日本列島は日本人のものではない」と言ったり、「参政権を差し上げる」と言うのは「自分の人生を自分で決定できないフヌケです」と言ってるに等しいのである。ともかくパク・ヨンハ、次は日本人俳優として生まれ変わって来てください。冥福を祈ります。

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2010.06.17 Thursday

サーティ・ワン

☆先日31歳になったわけだが、特に大きな心境の変化はない。これからも我が家が安泰であれば良い。そしてこれからもやることをやるだけ、という感じである。それに今の日本は一昔前と比べ、もう年齢というものがそれほどの意味を持たなくなりつつある。若くして富豪もいれば、年長の貧民もいる。今の日本人の「不安」の源泉は、一億総中流が崩れたことによるものが大きいと思う。「不安」は消費を抑えるから、景気はいつになっても回復しない。プロ市民上がりの総理大臣が果たしてどこまでやってくれるのだろうか。

実は過日、都内某所にてある政治家(現職の大臣!)の話を聞く機会を得た。我々はほとんどメディアを通してしか政治家の話に触れることがないが、直にその人を目の前にして話を聞くというのは、メディアを通してでは伝わらない何かがある。印象深かったのは「今の20歳以下の者は経済成長した日本の姿を全く見た事がない」ということ。なるほどそのような状況下であれば、消費する意欲は低下し、若者は草食系などと言われるのも頷ける。正直言って、未だ民主党に対する疑念は拭えないし、外国人参政権や増税を推進する管首相には希望が持てそうにない。だが社会主義の残滓を一掃し、若い世代による刷新が図れれば、まだ一抹の希望はあるのかもしれない。そのように思った。


…にしても鳩山氏のツイッターに「私に裸踊りをさせて下さったみなさん、有り難うございました」などとあったそうだが、これはどういうことだ?すごく前向きな解釈をすれば、馬鹿丸出しでリアルポリティクスに直面し、色々勉強させてもらった、という事だろうか。でも汚沢を道連れにし、最後の最後良い事をしてくれたね。どうもお疲れ様。星へ帰ってゆっくり休んでください。

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2010.05.11 Tuesday

夫婦別姓という男尊女卑

☆以前、民主党の千葉景子法相が夫婦別姓法案を推し進めている、という事を書いた。これについて推進派の論理として主なものは、結婚して女性が夫の姓になるのは男女差別である、というもの。それと、姓が変わることで仕事を持っている場合に不都合が生じる恐れがある、というものだったと思う。それについて反対派・慎重派は「家族の絆が弱まる」といった事で概ね一致しているように思う。社会を構成する共同体の最小単位である「家族」を解体することは個人主義に拍車をかけ、社会の無秩序化を招く恐れがある。そういう意味でも私は反対派の立場である。しかしそれ以前に、現在の民法では夫が妻のどちらかの姓に統一する、と規定されているだけで、夫の姓に合わせよ、とは書かれていない。よってこれは差別には当たらないし、「姓が変わることで生じる恐れのある不都合」も、いわゆる通称使用で解決できる。

しかしそれでも推進派は夫婦別姓こそが女性の権利の獲得であり、男女平等の象徴であるかのように謳っている。中国・韓国といった東アジア諸国は夫婦別姓が主で、日本もそれに倣えというわけだ。しかしここではっきり言っておかねばならないが、夫婦別姓は男尊女卑の思想である。それはなぜか?かの国々がなぜ夫婦別姓なのかを考えてみれば容易にわかることだが、中国も韓国も儒教文化の影響を強く受けている地域であり、強固な男系主義の父系社会である。よって男女が結婚しても、その家の血縁でない嫁は他人扱いであり、夫の姓を「名乗らせてもらえない」のである。


つまり中国・韓国といった儒教文化圏では、女性は一生を通して父親の姓を名乗ることになり、家庭を築いても(子供は父親の姓を名乗るので)家族の中で自分だけが違う姓、という状態なのである。当然ながら婿養子を取るなどというのはあり得ない。そして亡くなった後も姓が違う女性は夫の家の墓に入ることはない。女子は男子を産むための道具であり、それこそいつぞやの大臣が言っていた「産む機械」である。これの一体どこが男女平等であろうか?婚姻を結び、男女どちらかの姓を選んで同姓とする現在の日本こそ、男女平等が最も実現された社会であるとは言えないだろうか?

また、これは最も重要な点であるが、現在夫婦別姓を望む女性は決して多数派ではない。世論調査をしたって半数以上は反対・慎重である。そして驚くべきことに、推進派はそもそも「家族」を否定している。それは個人を抑圧する制度であり「個性の尊重を阻む」と考えているからだ。家族を否定する者が夫婦のあり方を論じていること自体滑稽だが、推進派は一般人の感性とは大きく乖離しているのだ。たとえ個が抑圧されようとも、そこに幸福を見出すことができるのなら、人はそれを望むものである。「個人」はそれほど強くはないからね。

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2010.04.04 Sunday

友よ

☆10年近く東京で時を共にした友がこのたび故郷へ戻ることとなった。自分の本心を話せる数少ない存在であったし、数多くの機会で助けてもらっていた。しかしそれで寂しがったり彼を引きとめたりすることはない。彼には彼の人生がある。まあ、いつの日か一緒に仕事をしたいとは思っているがな。



さて、過日3/27静岡県富士市にて仕事人応援フェスというイベントが行われ、デザインその他で多いに協力させていただいた。これから就業する若い人たちに、労働について学んでもらおうといった趣旨のイベントあり、映画「ブラック会社に勤めてるんだがもう俺は限界かもしれない」の上映もあった。この映画については、ブラック会社という「加害者」・そこに雇用される若者という「被害者」という観点で描かれるのかと思っていたので、最後まで観て少し驚いた。労働条件云々といったことももちろん重要であるが、結局はその場の人間関係が良好でリスペクトし合えるものであれば大抵のことは乗り越えられる、というメッセージに受け取れたし、上映後の佐藤祐市監督のお話からもそれは伺えた。それには大いに賛成である。

しかし、今や日本の若者は人件費の安いアジア系にどんどん仕事を奪われつつあるし、企業もその方が合理的だと知ってしまったので、かつての時代のように「新人を一から育てる」といった非合理なことはやりにくい。求めているのはあくまで「即戦力」であり、最初の時点で帰属意識を育てられていないのだから、今の若者はすぐ辞める、といった話もある意味当然と言えよう。中高年の方々が「自分たちの時代はこうだったああだった、だから若者はもっとガンバレ」と言っても、時代状況がまるで違い過ぎる。中高年は「時代に恵まれていたこと」に気づかず若者批判をし、若者は「時代に見放されている」ことに気づかず自己責任論に陥る、という構図ができてしまってはいないだろうか。



今年の桜は少々寒かったが実にきれいだったと思う。もともと大勢でガヤガヤ花見をするのは不向きで、近場の公園で静かに桜を眺めるのが好きである。日本人に生まれて良かったと思うひとときだ。

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2010.03.07 Sunday

小沢一郎という魔物

☆「歴史的」とされる政権交代から半年近く経ったが、民主党政権は迷走の一途を辿っている。これも民主党の無策ぶり、鳩山首相の無能・放蕩ぶりが明らかになったからで、実に望ましいことではある。民主党は自民党に抗するために、思想信条のバラバラな者たちが寄せ集まった「烏合の衆」にすぎないわけだが、ではなぜそんな連中が政権を取れたかと言えば、ある「剛腕」がその「烏合の衆」を束ねていたからだ。そう、小沢一郎幹事長のことである。

結論から言うと、小沢一郎はいわゆる「政治家」ではない。自身の権力維持だけが目的の「政治屋」である。だから過去と現在とで思想信条の不一致が多く見られるし、歴史観・国家観も皆無に等しい。小泉改革以降、地方の疲弊や中間層の崩壊が叫ばれ、ネットカフェ難民や派遣切りに象徴される「格差」の問題が顕在化すると、小沢はそれまでやや保守よりだったスタンスを大幅に変えて民主党に迎合。その時点でもう「弱者救済の政策を採った方が票になる」と踏んでいたのだろう。誰もが知っているあのポスターで、「国民の生活が第一」と謳うに至ったわけである。


さらに小沢は外国人参政権法案を通過させ、近年激増している中国人、そして在日を票田にしようと画策している。また、訪韓の際にはこの法案を通すことをすでに約束までしている。同法案は言うまでもなく、内政干渉による日本乗っ取りを可能にする狂気の法案であり、民主党内でも良識ある議員はこれに反対している。(憲法違反ですらある。)同法案は国政ではなく地方に限られてはいるが、地方の選挙では数百票の差が当落を分けるため、ある自治体に外国人が集団移住して組織票を投じれば、簡単に地方議会を乗っ取ることができる。竹島や対馬の現状を考えれば、これが決して過剰な警戒でないことがわかるはずだ。

小沢は票田のため、自身の権力維持のためならば、どんな国益を損なう事もためらうことがなく、そのためなら天皇陛下をも平気で利用する。もはや「政治屋」を通り越して「魔物」である。また、始末の悪いことにこうした危険をマスコミはほとんど報じておらず、「カネ」の問題ではあろうことか検察の側を批判している。国民には「子ども手当」「高校無償化」「高速無料化」などの甘いエサをぶら下げておき、なるべく危険から目をそらせようとしている。今の民主党は完全に小沢の独裁体制で、鳩山首相もその配下にすぎない、中国共産党さながらの様相である。日本国民は今こそこの危機に気づき、権力欲の権化と化した「魔物」に鉄槌を下してやらねばならない。

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2010.01.24 Sunday

阪神大「人災」に学ぶ

☆最近「あの時、民主党に入れなきゃよかった。後悔している。」といった人が増えているという。まあ選挙の時は外国人参政権夫婦別姓も言ってなかったわけで、民主党はそうした人たちを騙したということになる。それでいて「やる」と言っていたこともまるでやれておらず、ハトや汚沢があのザマじゃあ、もはや呆れ果てるほかない。政権崩壊も近いだろう。民主党に入れた人たちは、「いっぺんやらせてみようよ」というのが主な支持理由だったわけだが、彼らが「歴史に学ぶ賢者」ならば、例えば社会党に「いっぺんやらせてみた」村山政権がいかに無残なものだったかを、思い起こさずにはおれないはずだ。

村山がいかに無残な政権だったか。それはかの有名な「村山談話」 を残したことがまず挙げられるが、阪神大震災で自衛隊を出すのを渋り(自身の左翼思想から)、結果として被害の拡大を招いたという愚行も忘れてはならない。あの震災では6000人以上の人が亡くなったわけだが、村山がもっと迅速に行動し、自衛隊をすぐに派遣していれば、2000人は助かっただろうと言われている。その時村山が「なにぶん初めてのことですから…」とコメントしたのは有名な話だ。それだけでも十分許し難いが、現・社民党の安部知子という議員は自身のブログで、自衛隊の出動が遅れたのは自衛隊自身の怠慢だとしている。言うまでもなく自衛隊の指揮権は内閣総理大臣にあるのであり、もし自衛隊が独断で行動すれば、その時はどうせ「シビリアンコントロールに反している。戦前と同じ軍の暴走だ。」などと批判するのだろう。卑怯なやつらだと言わざるを得ない。


そうしたことを考えれば、「いっぺんやらせてみて」からでは遅いのである。日の丸を二つに裂き、天皇を政争の具とする者、日本を守る気がない者らに日本を任せることはできない。今さらの感もあるが、今多くの人がそう気付き始めている。

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2010.01.03 Sunday

年頭言

☆明けましておめでとうございます!本年も「再会!血風録」をよろしくお願いします。また、素敵な年賀状をくださった皆様、ありがとうございました!!


さて今年もより良き年になるよう祈ってきたわけであるが、こんなにも神社仏閣に親しんでいる国民なのに、「自分は無宗教」と言う者も多いのが、この国の不思議なところである。例えば多くの日本人はお盆には墓参りに行くと思うが、「祈る」という行為も「慰霊」するという行為も、合理性を超越するという意味で「宗教性」を帯びている。窮地に追い込まれた時などに、無意識に合掌する人も多くいるだろう。また、日本の多くの祭日も宗教的な行事に由来している。ただ「宗教」という言葉があまりに手垢にまみれていてて、一般的にはカルト宗教を指す言葉として定着してしまっているため、実質的には「宗教的行為」であっても(宗教という言葉を忌避したいがために)、自分は「無宗教」と言う者が多くなってしまっているものと思われる。


2010年と言えば、ちょっと前までは車が空を飛び、ロボットが掃除をしているような近未来SFのイメージがあったが、そんなふうになっていなくて一安心である。我々はやはり歴史の連続性の中に生きる存在なのだ。今年も色々頑張らねばな。

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2009.12.31 Thursday

パラレル・ワールドについての考察

 ☆最近あることがきっかけでパラレル・ワールドについて考えるようになった。まあ簡単に言えば「もしもの世界」である。たとえば選択肢A・BのうちAを選んだ場合、現実世界は「Aの選択の結果」であるが、それとは別に「Bの選択の結果」発生する(この世界ではない別の宇宙の)世界、それがパラレル・ワールドである。人生において何かを選択する場面など無数にあると考えれば、理論的にはパラレル・ワールドは常に無限に発生し続けている、ということになる。

ここまででは、パラレル・ワールドは実生活には何ら関わりのない、理論上の産物である。しかし将来において人類が光よりも速く移動でき、時間を超える(タイムスリップ)ようになった時、パラレル・ワールドは「もうひとつの現実」として姿を現すことになる。例えば12月30日に愛用していたカップがテーブルから落ちて割れたとする。そして翌12月31日、その事実をなかったことにするため、タイムスリップで12月30日に戻り、カップが割れるのを阻止し12月31日に戻ったとする。すると多くの人はそれでカップは割れずに済んだ、メデタシメデタシと思うだろう。実際そのようなことをやっているSF映画やアニメはいくらでもある。

ところが!理論上はそうはならないというのである。12月31日に戻ってもカップは割れたままなのである。実際にタイムマシーンで時間を移動しようとすると時間軸がずれ、行き着いた先は現実世界に酷似したパラレル・ワールドになってしまうというのだ。つまりそこでいくら歴史を変えるようなことを行っても、元々来た世界(12月30日)にはなんら影響はなく、結果としてもうひとつの12月31日が存在することになってしまうのである。これでなぜ未来人がまだやって来ないのか、といった疑問も合点がいく。(未来人はパラレル・ワールドの方に来ている)

SF作品の多くは「過去を変えれば未来も変わる」といった考え方で作られているように思うが、大長編ドラえもんの「魔界大冒険」はその辺が見事だった。タイムマシーンで過去に戻って(問題の原因を取り除いても)も、パラレル・ワールドになってしまうから解決にはならない、といったシーンが確かあった。ドラえもんの道具は荒唐無稽に思えるが、「もしもボックス」もパラレル・ワールド製造機と考えれば、理論上は可能とも思える。今、民主党は迷走の限りを尽くし、もはや死に体であるが、これも別宇宙の出来事にしてしまいたいと願って止まない。


さて、平成21年ももう間もなく終了である。今年は自分が結婚した年でもあり、忘れられない1年になった。お祝いを贈ってくれた方々、今まで支えてきてくれた方々に本当に感謝します。若輩者でありますが、妻と助け合い、これからの人生を歩んでいきたいと思います。来る年が皆様にとって良きものでありますよう願い、今年のシメといたします。良いお年を!


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2009.12.21 Monday

クリスマスとお正月☆

ここ最近気づいたことだが、海外のクリスマスカードには、「Merry Christmas & Happy New Year」と表記されているものが多くあり、クリスマスと正月を一緒に祝うような形になっている。日本人にとってはクリスマスと正月はまったくの別モノなので、そのような書き方はぜず、年初には年賀状が用意されている。商店の飾りなども、12月26日以降はガラリと変わる。やはりこれは日本人にとって、正月というものがクリスマスよりも強い宗教性を持ったものであるということの証左だろう。日本人が伝統を蔑にする民族ならば、海外欧米のように、クリスマスツリーを飾ったまま新年を迎えているはずである。現政権下でも、まだまだクリスマスが祝日になることはなさそうだ。


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