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2011.03.31 Thursday

DQNネームの陥穽

JUGEMテーマ:日記・一般

世歩玲(せふれ)、亜成(あなる)、麻楽(まら)、愛子エンジェル(あいこえんじぇる)、麻理緒音都(まりおねっと) 、大波小波(おおなみこなみ)、芹安奴(せりあんぬ) …これらは一体何でしょう?キャバクラ嬢か暴走族の名前じゃありません。ほかならぬ人間の名前、親が愛する我が子につけた名前、いわゆるDQN(ドキュン)ネームというやつである。

一体なぜ今の親たちはこのような名前を子供につけているのか、全く理解不能であるが、「DQNネーム」ではなく「キラキラネーム」などと呼称しており、当の親たちは「個性的で素晴らしい」などと思い、逆に普通の名前を忌避し、没個性的などと侮蔑すらしているらしい。「個性とは大多数の中の一人」だから意味を持つのであって、皆がこんな名前になってしまっては、「個性の理解」そのものも浅はかと言う他ない。それ以前に、読みづらくて生活に支障を来していないのだろうか?学校の先生は全員の名簿に読み仮名を振らなきゃいけないだろう。「国際化の時代だから外人ぽい名前を」「外人に呼んでもらいやすいように」などといった声もあるが、生活の大半を日本国内で送ることになるのに、なぜ「対外国人」を優先させる必要があるのか?それに外国人からすれば、「日本人らしい名前」をやっぱり好むようである。世界から評価されている日本人の名前が「イチロー」であることをお忘れか?

ドキュンじゃなくてキラキラ

DQN親たちは、子供を可愛がっていることには違いないのだろうが、どうもペットかマスコットのように扱っているのではないか?子供がその名前を一生涯背負い、(恐らくは)自分が死んだ後も生きていくだろう事を想像しているだろうか?「個性的」な名前をつけたからといって、その子供が個性的になることはない。逆に、平凡な名前であっても、その人が何を成したかによって、名前の重みというのも変わるのである。「イチロー」の例を挙げるまでもなく、わかることだと思う。

じゃあどんな名前をつけるのが適当なのか?私が思う1つの案は、「受け継がれゆく名前」である。例えば母親が「美佳」なら娘は「佳代」である。「新しきもの」であると同時に、「親の一部を受け継いでいく存在」であれば、そうそうDQNな名前にはならないだろうし、家族としての一体感も醸成されるだろうと思っている。単に昔に戻るという意味ではないが、これからの日本を再生する力になると信じたい。


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2011.03.16 Wednesday

何度でも立ち上がれ

JUGEMテーマ:日記・一般
 
このたびの大震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。また、被災されたすべての方々にお見舞い申し上げたいと思います。

しかし私を含め、仕事ができる状況の者は、でき得る限り自分の現場で仕事をし続けたいと思っています。もちろん、節電に協力して、です。経済の停滞は復興にも必ず影響すると思うからです。

日本人は必ずここから復活します。何度でも立ち上がります。海外から称賛の声を聞くまでもなく、歴史を振り返ればそれがわかります。なんとしてもこの危機を乗り越え、生き抜いてやろうと思います。

「平和とはライフラインが保たれていること」だと改めて知りました。
今は紛れもなく有事です。

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2011.01.20 Thursday

パンダは中国の動物ではない

JUGEMテーマ:日記・一般
今この文章をお読みの方で、「チベット問題」をご存知の方はどれくらいおられるだろう
か?北京オリンピックの聖火リレー妨害事件を機に、チベットの惨状がより一層世界に訴えられることになり、恐らくここ数年で膨大な数の人がこの問題に関心を持たれたことだろうと思う。
 
1950年に建国して間もない中華人民共和国は、隣国であるチベットに侵攻。人民解放軍は残虐の限りを尽くし、チベットの人口の5人に1人である120万人を殺害。仏教寺院もそのほとんどが破壊されたという。チベットは結果として中国に併合。チベットの文化もこれ以後「中華文明」の一部として扱われることになる。マスコミの報道を見ていると、中国は近年になって牙を剥き始めたかのような印象を受けるが、昔からこうである。しかしなぜ中国は現在日本を含め、多くの国と国交を持つに至っているのか。それに貢献したのがチベットの地から奪い取ったあの珍獣、パンダである。


パンダはかつては中国各地にいたとされているが、現在生息しているパンダはそのほとん
どが四川省西部のものであるらしい。しかしこの地は元々はチベットの領土であり、侵攻された時に中国に奪われた土地である。中国政府はこの珍獣を最大限に政治利用し、世界各国にパンダを寄贈するという、いわゆる「パンダ外交」を行った。1972年、日本との国交回復時には上野動物園にパンダが2頭寄贈され、日本中にパンダブームが沸き起こった。当時の中国は文化大革命の真っ只中で、国内でも何千万もの人民が殺害されていたわけだが、珍獣パンダはそんな中国のダークなイメージを払拭し、「友好」を演出するのに多大な貢献をしたわけである。
 
中国は近年でもパンダをモチーフにしたイメージキャラクターをオリンピックに使うなどし、「パンダは中国のもの」「チベットは元々中国の領土」と主張している。彼らはこれからもその本性をカモフラージュするため、パンダを利用し続けることだろう。また、それはチベットを永遠に手放さないことも意味している。近年、尖閣諸島や北方領土といった領土問題に対し、「あげちゃっていいじゃん」的なことを言う人がいるが、どうかチベットの事を思い起こしてほしい。土地が奪われるということはその固有の文化も奪われるという事であり、例えば今日本のアニメのパクリをやりまくっている中国の方がオリジナルに取って代わるという事なのだ。珍獣パンダは我々にその事を教えてくれている。

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2011.01.02 Sunday

年頭言2011

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

あけましておめでとうございます

時代は留まることなく流れていく。例えばこれからはスマートフォンが主流になっていく、という事らしいが、十数年前の高校時代、携帯すらほとんどなく女の子がポケベルをいじくっていた頃の事を考えると隔世の感がある。(これでケータイ用サイトは不要になっていくのか?)

個人的には何でも新しいものに飛びついていくのは好きではない所が大きい。しかし最近は好むと好まざるに関わらず、自分が生き残っていくために新しい技術は取り入れたいと思うようになってきた。刀の時代から銃の時代になり、銃でなければ戦争に勝てないことがわかっているのに、頑なに刀だけに拘る。というようなことをしていても意味が無い。土方歳三もあの時代、早々に洋装に変えたわけだし。

それと、これは与野党問わず世の政治家の方々にお願いしたいことだが、 「税金を納めることに意味があると思える社会」をつくってほしい。昨年末、ルーピー鳩山氏の脱税が時効になって云々というニュースをやっていたが、あの男ほど真面目な納税者を愚弄した為政者もいないだろう。納税が社会のために必要なのは当然であるが、日本有数の資産家のボンボンで、しかも首相まで務めた人物がアレでは、あまりにバカバカしくなってくるではないか。

皆様にとってよりよい発展の年でありますよう☆

そんなこんなで、2011年。
皆様にとってよりよい発展の年でありますよう☆

23:08 | - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2010.12.31 Friday

ドラえもんと情報戦争

 ☆2010年も間もなく暮れようとしている。思えば子供の頃等、"2010年"というのはSF近未来の代名詞だったようにも思う。その時代にはもう鉄腕アトムのに出てくるような未来都市が広がっていて、ロボットが人間と共生している、というような未来像が、一昔前の漫画や映画には数多く描かれたりしていたものだが、現実の2010年はそこまでは到達しなかった。到達しなかったというよりは、そうしたSF的な世界とは別なもの、「不変なものと激変していくものとが共存する世界」に我々は住んでいるように思う。

この調子でいくと、もう100年先もそう大きくは変わっていないかもしれない。変わるものはとことん変わり、昔から変わらないものは変わらない。SF的な世界は恐らく訪れないだろう。

さて、それでも設定上はドラえもん誕生まであと100年である。ちょっと前まで知らなかったことだが、ドラえもんのアニメは1979年以前にも存在している。大山のぶ代氏が演じる前にも別の役者が(しかも2名!)ドラえもんを演じているのである。大山氏は「初代」ではなかったのだ。


↑この1973年に日本テレビ系列で放映されたドラえもんであるが、これは長いこと語られることはなく、「黒歴史」として扱われてきたようである。「藤子F氏のイメージとかけ離れている」とされ、放映期間も半年と短く、今ほどの人気はまったくなかったようだ。しかし、原作も初期の頃はかなりハチャメチャなギャグ漫画であったことを考えると、73年版のアニメはその雰囲気をじゅうぶん表しているとは思う。ニコニコ動画で最終回(音声のみ)がアップされているが、概ね好評価である。「制作会社が倒産し、もうフィルムが残っていない」と言われているが、実際のところは恐らくテレビ朝日が「ドラえもん利権」を手放したくないために、放映させないよう図っているのでは思う。

たった40年近く前の出来事も、情報を押さえてしまうだけで、「ドラえもんはテレ朝しか存在しない」と我々は意識操作されてしまう。という事は情報を押さえるだけで歴史の捏造は可能、という事にもなるのである。2010年代、時代はますます「情報戦」になっていくことだろう。


14:59 | - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2010.12.19 Sunday

自衛隊は「暴力装置」

☆仙谷官房長官を擁護する気などまっっったくないが、「自衛隊は暴力装置」というのは間違いではない。世界を見渡せばほとんどの国がこの「暴力装置」を持っているわけで、「暴力」装置であればこそ、国土を防衛するものになり得るというものだ。
自衛隊は暴力装置

我々一般の国民は「暴力」を保持しない。(ここで言う「暴力」とは銃刀法で規制されるくらいのものを指す)保持したとすれば、個人間でのトラブル・喧嘩・犯罪者などにそれが用いられ、恐ろしく治安の悪い社会になることは自明だろう。だから我々は「暴力」を国家に預けている、と考える。預けられた国家は国民の生命が危機に瀕した時、初めてそれを行使する。国内に対しては警察、国外に対しては自衛隊がその役目を担っている。彼らはもちろん好き勝手にその「暴力」を行使して良いはずはなく、彼らの存在はあくまで国民が安全に生活するために設けられた、システムとしての(合法的な)暴力、すなわち「暴力装置」である。

そしてそのようなかたちで「暴力装置」を保持することで、今日の近代国家は形作られている。

ただ、なぜ仙谷氏の発言が問題になったかと言えば、言わずもがな尖閣事件があった直後だったからだろう。国防について極めて消極的な仙谷氏の発言は、「自衛隊は暴力団」とでもいうようなニュアンスを多くの人に与えてしまったかもしれない。
 
しかし「坊主憎けりゃ袈裟まで」になってしまっては、物事の本質を見誤ってしまう。日本人が議論下手と言われる所以でもあるが、我々は「何を」言ったかではなく、「誰が」言ったかで、価値判断を行いがちである。それは日本の社会の良き面を作っている部分もあるから決して全否定はしないが、政治家の発言であれ、個人間の会話であれ、我々はもっと「言葉そのものの意味」で捉えなければいけないだろうと思う。

21:03 | - | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
2010.11.12 Friday

日中の戦争はもう始まっている

尖閣諸島問題が世を騒がしているが、「中国が脅威」なんてことは、とっくのとっくに言われていたことであり、世間がようやく「中国ファッキン!」になったことは望ましいことではあるものの、「ここまでされてようやく、今頃か!」という思いもある。中国はいつものように「もともと自国領である」などと言っているが、尖閣諸島に膨大な天然資源があるとわかった'70年ごろから領有権を主張していることから、その主張に何の説得力もないのは明らかだ。韓国が竹島に対しやったように、中国は尖閣諸島を実効支配し、そこにある資源を狙っている。これは侵略行為以外の何物でもない。


 
その論拠であるが、まず海保の船に衝突したのは「漁船」ではない。民間の漁船が海保の船に体当たりを食らわすということ自体、あり得ない行動であるし、こうした「漁船」は米海軍の船に対しても威嚇行動を繰り返しているというのである。こうしたことから民間漁船を偽装して軍事行動を行っている「工作船」であることはほぼ断定できよう。地元の漁民が恐ろしくて尖閣付近では操業できないと言うのも頷ける。さらに言うならば、衝突の衝撃で海に投げ出された海保の職員を、その「漁船」の船員は銛で突き殺したというのである。公務執行妨害どころではなく、普通に殺人じゃねえかという話だ。
 
現在sengoku38なる人物によって、衝突時の映像は国民の知るところとなったが、そうした情報をいっさい公開しようともせず、拘束した「漁船」の船長も処分保留で釈放してしまう現政権とは一体何なのだろうか?鳩山氏はまだ「日本列島は日本人だけのものじゃない」と言うのだろうか?これで日本は簡単に恫喝に屈する国であることを世界に宣伝してしまったようなものだ。次は「潜在的に自国領」と言う沖縄本島が狙われるだろう。日本国民は覚悟しといた方がいい。

毛沢東 政治とは硝煙なき戦争である

こうした事態の根本的な原因は、日本の政治家に「外交は戦争である」という意識が無いためだ
。鳩山氏が「友愛」と言ったように「お手手つないで仲良くしましょー」という意識しかない。毛沢東は「政治とは硝煙なき戦争」と言ったそうだが、中国の側には明確にその意識がある。チベットを蹂躙し、台湾を懐柔し、領土の拡張を常に企んでいる。国内の富裕層に日本の不動産を購入させ、「合法的に侵略」しようと企んでいる。ロシアの北方領土上陸もそうだが、前政権の普天間問題で日米がユルくなったところをスカさず突いてきた。近隣諸国に「友愛」などどこにも存在しない。尖閣諸島におけるこの事件は、間違いなく日中の新たな戦争の端緒となることだろう。そして満州事変の時のように、政府は機能不全、海保の独断を国民は支持し政府はそれを追認、というシナリオになっていくだろう。果たして来年まだ「日本」は残っているか。

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2010.11.07 Sunday

言葉を軽んずるなかれ

 ☆J-POPの歌詞などによく「言葉より大切〜」「言葉なんかより〜」みたいな文句を散見することがある。もちろんそれを書いたり言ったりしている当人らは、言葉を軽んずる意図は別にないのだろうとは思うが、そうした影響からか、ずいぶんと今の時代は言葉が蔑にされているように思う。

まともな言葉遣いができていなかったり、誤字や言葉の誤用など、それがあること自体は人間である以上致し方ないにしても、それを指摘されても改善するそぶりもなく、「意味通じてりゃいいじゃん」という人もいるわけである。これはべつに若い人に限ったような話でもなく、大人でもそうであるし、もっと言えば政治家でも当てはまる話である。麻生首相の時、マスコミは漢字の読み違いなどをさんざん揶揄してきたが、私に言わせれば「その次の首相」のほうがもっと重症である。なにしろちょっと時が経っただけでもう言ってる事が変わってしまっている!

鳩山前首相


人間は言葉によってコミュニケーションを図り、それによって社会を形成している生き物あると言える。「言葉の動物」と言われる所以だろう。つまりその言葉が蔑にされたとき、その社会の基盤である「信頼」も崩れてしまうことも自明だろう。↑こんなこと言ってりゃ、さすがにもう信用されなくなるだろうしな。

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2010.10.11 Monday

故郷に迫る危機

☆私の地元は新潟市であるが、近年になって吸収合併が続き、住所がいつの間にか「北区」が住所に書きくわえられてしまっていた。だが今度はそれの比にならないぐらいの戦慄である。万代小学校跡地に中国総領事館を作り、古町商店街に中華街を誘致しようというのである。



尖閣事件が起きた最中にもかかわらず、このような事が進行中とは、正直最近まで知らなかった。「中華街くらい」と思う人もいるだろうが、これは例えば横浜中華街などとは根本的に性質の違う。横浜はの戦前(もっと前)からあるもので、中共とは直接関係がないらしい。だが、これから新潟に作られようとしているのは、(表向きはともかくとして)あからさまに中共が国策として行うものと見て間違いない。

さらに始末が悪いのは、当の地元商店街の人々や市長などがこれに諸手を上げていることだ。もちろん財政の状況から見て、背に腹は代えられぬということはあるだろう。しかしこれを受け入れれば、より悲惨な状況が生まれることは容易に想像がつく。尖閣事件を挙げるまでもなく、中共の横暴ぶりはメディアでも広く伝えられていると思っていたが、新潟の人は情報にうといのだろうか?北朝鮮にあれだけの拉致被害を受けても、外から来るものに警官感を抱かないのだろうか?


一昔前の帝国主義の時代と違って、今はあからさまに武力を使った侵略はできない時代ではある。(それを中東で行ったアメリカは権威を失墜させ、凋落の一途である)そういう意味で、チベットを蹂躙した時のようにはならないだろう。しかし、台湾に対してもそうであるが、このように経済的に進出することでいつの間にか侵略する、「ここは我々の領土ですよ」と言い続けることでいつの間にか既成事実化する、といったやり方で、中共は今も領土拡張を行っているのである。

だからあえてはっきり言おう、これは侵略であると!!! 

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2010.09.19 Sunday

嗚呼、無垢なる子供たち

☆初端から私事で恐縮であるが、私の妻は仕事でイラストを描いており、イベント会場で似顔絵を描くことも多くある。9月の初め頃だったか、近所の夏祭りの催しで彼女が似顔絵描きに臨んでいた時のことだ。(その日は近所でのイベントだったので私も同行した)客寄せとして制作したサンプルの中に、あるニューハーフタレントの似顔絵があった。毎年行われる24時間某という番組でマラソンしたことが記憶に新しい、あのニューハーフタレントだ。お祭りの会場は親子連れが多く、ある母親はそのニューハーフタレントの似顔絵を指し、「あの人誰だかわかる?」と、自分の子(幼児)に尋ねていた。私は何気なくその様子を見ていたが、その母親の問いに対する幼児の回答に仰天してしまった。「うん、わかるよ。あれ男!」

今の時代は建前としては男女同権、それどころかゲイやニューハーフ、同性愛者の権利も認めましょう、ということになってはいる。もちろんそれ自体は結構な事であるが、実際の所、それは腫れ物に触るような感覚になっているのではと思うこともある。そのような人たちを批判したり揶揄したりすれば、それは人権の侵害であり、差別主義者であると見られる事は必定だからである。だから「色んな生き方があっていいよね」と自分を納得させ、皆で「そうだそうだ」と頷きあっている。しかしそれはあくまで大人同士の「世間」で作られた了解事項であって、子供たちには一切関係がない。王様が裸で歩いている時、「裸だなんてモロに言っちゃいけませんっ!」と言うのが大人であるが、子供は「あ、あの人裸だ!」と言ってのけるのである。

私たちは「子供」というと、それはとかくピュアで無垢なものだと考えがちである。もちろんそれは一面の真理ではあるが、だからと言って「子供はピュアだから悪いことをするはずがない」と考えるのはあまりに浅はかである。自分が子供の頃を振り返ってみれば明らかであるが、とてもそんな良心的な行動のみを取ってきたとは言い難い。人を揶揄・中傷するような言動も多く取ってきただろうと思う。正直言って子供でも相当エロい事を考えたりもするし、暴力だって振るう。しかし、誰もがそのような経験を幼年期から思春期にかけて積み、そこで「大人の世間で作られた了解事項」を体得していく。だから「子供はピュア」は間違いではなく断固事実ではあるが、そうであるが故残酷であり、(大人世間のルールから逸れた)悪い事もしでかすのである。

そう考えると、ニューハーフタレントを「男」と断言したあの幼児も、これから成長する過程で「大人世間のルール」を体得し、「色んな生き方があっていいよね」と言うことになるのだろう。それは結構な事であるが、内心では「うん、あれ男!」を忘れないでいてほしい。100%大人になりきって生きるのも、つまんないからね。

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