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2012.01.22 Sunday

脱原発と坂の上の雲

☆気がつけばあの大震災からもう一年近くになる。多くの人の心に多くのトラウマを残し、この国に大きな課題を突き付けた、戦後最大の出来事だったのではないだろうか。そしてそれに伴う福島原発事故。放射能の影響で飯舘村など一部地域では完全に人が住めない状態にもなり、多くの人が生きる術を脅かされている。

ここではっきりさせておきたいが、私は「脱原発」の立場を明確に採る。原発事故当初は、感情的な反原発論に違和感もあった。自分の仕事が主にパソコンを使っている以上、また、通信手段をはじめ生活の大半に電力を用いている以上、原発依存は避けられぬのでは?くらいに思っていた。

しかしその考えは容易く覆った。最大の要因は、火力+水力の最大出力で(1年で最も電力を消費する)8月のピーク時ですらカバーできるというデータが示されたことである。ということは、あれだけ夏がヤバイヤバイと喧伝されていた件はまったくのデマ、まんまと東電に騙されていたということになる。私のような素人からすれば、もうこれだけで答えは出ているようにも思うが、なぜか未だに原発を擁護・推進する人たちが、事故から時が経つほどちらほら散見される。

愚劣過ぎて書くのも恥ずかしいが、まずは交通事故を同列視する手合いである。交通事故では年間1万人近く死んでいるのだから、それに比べれば原発事故の死者は遥かに少ない、というものである。そしてさらに酷いのは、餅(喉に詰まらせて)で死ぬ人の方が多いのだから、山本太郎氏は「反餅運動」もやれ、といった中傷である。

確かにその手の事故の方が起きる確率としては高いだろうし、今のところ死者も多いだろう。だが原発事故は起きる確率は低かろうが、いったん起きてしまえば福島の一部地域のように、半永久的に人が住めなくなってしまう。そこに住む人々が永遠に故郷を喪失してしまうリスクすら包含していることを考えなければならない。まして、東日本大震災以降、日本列島は地震の活動期に入ったとさえ言われており、「まず起こらないだろう」などと安穏と構えていて良い状況ではない。断言するが、自動車や餅にここまでのリスクは無い。

この日本という国は明治以降、欧米に追い付くことを念頭にひたすら「坂の上の雲」を目指し続けてきた。敗戦の痛手も乗り越え、高度成長を成し遂げ、世界の経済大国になった。原発はある意味そうした成長路線のシンボルであるから、高度成長や好景気を知っている世代は未だに原発を擁護・推進するのかもしれない。90年代からすでにそうだったのかもしれないが、もはや「坂の上の雲」を目指す時代ではない。東日本大震災、そして福島原発事故はそのことをより明確なかたちで我々国民にアナウンスしてくれたのだと思う。


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