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2011.08.28 Sunday

さらばテレビジョン

☆夏のある日のこと、ふとテレビをつけてみると何も映らない。砂嵐である。そうか、7月24日をもって完全に「地デジ」移行してしまったのか!我が家のテレビは今や「DVD再生用モニター」である。しかし私はそこですぐに「地デジ化」をしなければ!という気にはどうしてもなれなかった。ここ5年近く、テレビを日常的に見ることは少なくなっていたので、そのために出費をする気にはどうしてもなれないわけである。

生活に必要な情報、ニュースや天気予報はネットで十分である。というか、テレビ人の恣意的なコメントはかえって不要ですらある。バラエティやスポーツはもともと見ないし、映画がみたければDVDがある。音楽はユーチューブがある。この10年、テレビのコンテンツ自体が劣化し、テレビ草創期やお笑いブームの時のようなスターは出にくくなっているのに加え、それまでの役割の多くがネットに取って代わられている。私にとってテレビはもう半ば「終わったメディア」なのである。

さらばテレビジョン

もちろん完全に「終わった」わけではなく、今年の震災の際など、非常時にはやはり頼りになる部分もあった。しかし、地デジの電波は災害に弱いというではないか!これは未だ余震の続く東北地方の方々にとって、不安以外の何物でもない。

そもそもなぜ地デジ化なのか?という事については、画質が良くなる云々というよりは、欧米はすでにテレビのデジタル化を完了させているから、日本もそうしないと輸出産業が成り立たない、というものである。それならば尚のことコンテンツの質を上げなければならないのだが、現状は劣化しきっているから「若者のテレビ離れ」などと言われ視聴率が取れず、スポンサーがつかず広告収入が減り、その結果製作費を捻出できずますますコンテンツを劣化させる、という悪循環に陥っている。フジテレビなどは韓国から安いコンテンツを買ってそれを放送しまくり、その結果それがド顰蹙を買い、デモまで起こされている始末である。

地デジがもう10年早かったら、私も迷わず電気屋へ走っただろう。しかし、今は年配者を除く多くの人が「ネット感覚」に慣れている。一昔前のようにテレビが常にブームを発信しているような、そんな影響力を持つ時代ではなくなった。今は誰もが均一な情報を一方的受け身で享受する時代ではなく、自分の意志で情報を取捨選択する時代なのである。テレビがこのまま凋落するのか、何らかの復調を見せるのかはわからないが、その「在り方」そのものを変革させなければ、存続は厳しいであろう。

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