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2011.03.31 Thursday

非常時における「強者」と「弱者」

JUGEMテーマ:日記・一般

大震災から2週間以上が過ぎた。被災地は未だまったく予断を許さぬ状況が続いているが、東京の町は物流も戻り、少しずつ「日常」が戻りつつある。何もかもが自粛ムードに覆われてしまっているが、経済活動を止めてしまっては、結局は復興のためにならない。そう思うことにして、仕事に集中するようにしている。微々たることであるが、それが自分にできる復興支援だと思っている。私のようなまだまだ自分たちを守ることに精いっぱいの「弱者」には、それが限界です。

最近、勇敢にも被災地へ物資を届けに行く、という人がネットで散見されるが、いざという時自分を守れるだろうかと思ってしまう。自分自身を守ることには事足りて、さらに他者をも守れる「強者」であるとは思われないのである。日常から乖離し、「何かしなければ」に囚われ過ぎているようにも感じる。芸能人が何千万・何億単位で寄付を表明しているが、あれは「強者」だからこそできる行いだろう。日本にはまだまだ余力のある「強者」がいるはずなのだから、彼らがもっと支援を表明し「弱者」を安心させ、そして危険に晒されることのないよう切に願う。

この先もどんな危険があるかはわからないが、この日本に住んでいる以上、ある程度諦観するしかない。私は当然日本を捨てるつもりも、この町を離れるつもりもない。すべては一蓮托生である。あくまでも「日常」を捨てず、生活者の視点を捨てず、地道に成すことを成し、祈るだけだ。

これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。


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