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2009.02.14 Saturday

世間体という同調圧力

☆ふだん人と接していると、「自分はこの年だからもう○○しよう(○○をやめよう)」的な物言いに出くわすことがままある。○○には「就職」だったり「結婚」だったり人によって様々だが、そういう考えってもう旧いんじゃないのォって正直思ったりしている。自分はもともと年齢に対する拘りがあまりなく、若くても尊敬できる者はいるし、年長者でも尊敬できない御仁も多くいる。

「この年だから○○」というのは、ちょっと前までの日本社会がある程度「横並び」であったからこそ成り立ち得たことであり、格差化と多様化が進む現代においては、それは旧時代以上のプレッシャーを若者にかけることになる。見合い結婚が制度化していた時代なら、そこから漏れた単身者に対し、世間の結婚圧力がかかってしまうのはまだわかる。しかし今はほとんどが個人の力に依る「自己責任型社会」になりつつあり、明確なかたちで勝者と敗者が出てしまうにもかかわらず、そうした結婚圧力、「世間体の同調圧力」のみが残っているのである。これは明らかにおかしい。「格差・多様性」「この年だから○○」は真っ向から相反しているじゃないか。

しょせん最後は人間ひとり

近年「仕事しろ」などとなじられ、若者が親と口論になって殺してしまったというような事件もあるようだが、敗者の側が受けるプレッシャーは旧時代の比ではない。にもかかわらず、親の世代はそれがわからず「今の若者はだらしがない」と言うのみで、世代間の断絶をも広げている。若者は若者でそれをすべて「自己責任」として納得し、結局社会構造の変化に誰も気づくことのないまま、時代のみが動いていく。

だから今そうした同調圧力に苦しんでいる人は、どうか失望しないでほしい。何もすべてを時代のせいにしろというのではないが、明らかにこの国は「親の時代」とは「違う社会」になっているのだから、親世代の「私の時代は…」といったことに耳を貸す必要はあまりない。社会が多様化しても、「幸福」の概念が旧来のままでは、そこから漏れる多くの人は不幸ということになってしまう。良し悪しを抜きにしてもう年功序列でもないのだから、せめてそうした旧時代の残滓に若者が無用に苦しめられないよう、強く望む。

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