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2009.01.31 Saturday

Nobody to watch over me...

☆先日「誰も守ってくれない」という映画を観て、思うところが多々あった。本来であれば(殺人事件の)加害者の家族というのは責められても仕方のない立場のように思えるのだが、この映画で描かれているように、現代はそこらへんがかなり捻じれてしまっているように思う。魔女狩りのように責め立てている側にも、ある種の嫌悪感を禁じ得ない。もちろん、ある時期までは加害者側が守られすぎていたわけだから、やったことに対して罰を受け、償いをしなければならないとは思う。そのための厳罰化は妥当だ。しかし加害者の家族に対してまでも「死ね」と言えるのは、被害者の家族くらいではなかろうか。それでなくても世間から白眼視され続けるわけだから、それで十分「連帯責任」は果たしている。

作品でも描かれているように、今はネットが普及したことで、ちょっと身を隠したくらいでは、匿名の書き込みなどで簡単に居場所が割れてしまう。情報手段が発達し過ぎてしまったために、より魔女狩りが起こりやすい社会になってしまっている。勝浦刑事(佐藤浩市)の「加害者家族も被害者だ」という言葉は単に同情的に言っているのではなく、こうした背景から出てきたものだろう。個人的には犯罪は憎むべきもので死刑も必要と思ってはいるが、なかなか一筋縄ではいかない現実もある。

「誰も守ってくれない」という題については、現状に対する悲観というよりは、現実をそのまま言い当てた言葉だと感じた。自分の身は自分で守るしかない。それはいつの世も変わらぬのだろうが、今後はより自己責任型社会になっていくのだろうから、それはますます現実味を帯びた言葉となっていくことだろう。

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