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2009.01.19 Monday

「フリーター」を死語化せよ

彼らは自己責任なのか?

☆昨年末、年越し派遣村がずいぶん話題になっていたが、この国の格差化、そして下流層の拡大は深刻化する一方で、労働者の3人に1人は非正規雇用である。もはや正規雇用でなければ半人前だなどという時代ではなくなった。そこで思うことであるが、もう「フリーター」という語はもう廃止した方が良いのではないだろうか。

そもそも「フリーター」は、'87年にフロムエーという雑誌から生まれた造語である。当時は、正社員の「終身雇用的な生き方」に対して、これが新しい若者の自由な生き方なのだと、奨励されてもいた。しかし'95年、日本経団連が公表した提言「新時代の日本的経営」によって、状況は一変する。これは労働者を長期蓄積能力活用型・高度専門能力活用型・雇用柔軟型の3つのランクに分けるというもので、が従来型の正社員、が専門技術職、そしてが企業が雇用を柔軟に左右できる非正規雇用である。これはを意図的に増やすことで人件費を大幅にカットして利益を上げ、景気を回復させようという話だったわけだが、当時はまだ若者自身が「フリーター」を希望する向きもあり、財界としてもこれは好都合だったろう。若者は自由な生き方をし、企業は利益を上げる。双方の利害が一致しているかに思われた。「いざなぎ景気を超える」と言われた'02〜'07年の景気回復はこうして「作られた」のである。

もうお分かりと思うが、大量の「フリーター」はこのように財界の都合で「意図的に作られた」のである。ワーキングプアネットカフェ難民もそうだが、世間の中高年や財界の者はこうした下流層を「だらしない」「甘えている」「自己責任」などと一蹴する。しかし下流層の存在によって企業が利益を上げているという矛盾を、彼らは一体どう考えているのだろうか。今学校では「フリーターにならない教育」が施されているというが、一方では「経済政策として非正規を増やそう」としているのだから、これは欺瞞以外の何物でもない。かくして、「自由を求めて主体的にそれを選択した」はずだった「フリーター」は、「そうならざるを得ないもの」「最も不自由なもの」に変質したのである。

その結果、今若者は恐ろしく保守化しており、正社員・公務員志望、安定志向である。ちょっと前のホリエモンのような者はもう少ない。今の中高年が社会に出た頃は年功序列・終身雇用が生きていた時代であり、アメリカ的な成果主義に対する羨望があったわけだが、今はその羨望が実現した時代と言える。だから下流層に落ちた若者は自己責任としか思えないのかもしれない。働けとなじられ自分の親を殺してしまうような事件も近年あるが、格差社会は世代間の隔絶をも生んでしまっているのだ。「フリーター」という語には「本人が自由を望んでそうなっているのだ」と思い込ませるようなニュアンスがあり、そこに罠があるわけだが、この現状を打破するためには、まずはこうした自己責任的な呼称を廃し、彼らの一人一人が前述したような構造的な問題を自覚する必要があるように思う。

(月間Cam's北見 09年3月号掲載用作品)

00:24 | - | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |

コメント

mk1946(ひとりごとの部屋)です。
コメントありがとうございました。

まだブログを初めて一か月ちょっとで、ブログの
システムもよくわからず、文字を打つのがやっとです。

公式サイト『もりおの家』も拝見しました。
幅広いご活躍、うらやましい限りです。

これからもよろしくお願いします。
2009/01/22 11:13 PM by mk1946
こちらこそ、コメントありがとうございます!
サイトの方もご覧いただき、大変光栄です。

こんな感じでちょくちょく書いておりますので、
またお読みいただければ幸いです☆
2009/01/23 1:15 AM by モリオ・カ・タケル

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