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2009.01.03 Saturday

新春、そしてサムライ

☆あけましておめでとうございます!!
本年が皆様にとって良い年となりますよう、お祈りいたします☆
モリオ・カ・タケル

昨年末は大してどこかへ出かけるでもなく、テレビをつけるとルーキーズの実写版をやっていたので、連日ずーっとそれを見て過ごしてしまった。あれは本当にやばかった。テレビを夢中になって見ること自体、かなり久しぶりだったのではないか。あのニコガク野球部の友情やチームワークを、本当に羨ましく思う。ひとりでも多くの子供や若者があの番組を見、そして原作本を読んでほしい。この作品も少年ジャンプなので、やはりそれらしい熱さを持っているように感じた。ジャンプ世代だった自分としては、今思うとそうした熱さの中にある種の倫理観を見出し、大人になっていったのだと思う。しかし超個人主義者の自分にとって、あのような友情はそれこそ「夢」だろうなと思わざるを得ない。だがそれでも良いのだ。個を尊べばそうなることは必然なのだから。

皆「個」や「個性」という言葉が好きなようで、そこかしこでそういう言葉を見聞きする。「個性を伸ばす」「個の尊重」といった言い回しは誰もが疑うことなく使っている。しかし一方ではそれと真逆の言葉、「ひとり浮くのは嫌だ」「KYは嫌だ」などとも言われている。個性的で皆と違ければ浮くのは必然だろうに、そうした矛盾に気づくこともないのだろうか。オレは日本人の本音は後者だと思っていて、やはり「浮きたくない、皆といっしょで安心したい」のだと思う。事の正邪にかかわらず、10人中9人が賛成している意見に対し、1人反対を貫ける者はなかなかいない。それならそれでも良いのだが「なぜか皆自分には個性がある」と思いたいようで、普通であること、平凡であることを忌避している。自分が無個性な人間であることを恐れているのだろうが、実はそんな人間こそ「個性は欲しいけど皆といっしょでもありたい」という、ムラ社会の住人なのである。

個性的である、ということは(必ずしもとは言わないが)ある意味で「浮く」ということでもある。逆に言えば「みんなといっしょ」で、個性的であれという方が難しい。個性的でありたければ、少なからずそのような孤独に耐える覚悟が必要なわけで、誰もが安易に手に入れられるものではない。しかしだからといって孤独に生きていくことを肯定するのは、それはそれで難しい。そう考えていたとき、ジュリー「サムライ」という曲がオレの心を打った。

この曲は亡き阿久悠の作詞であるが、「男は誰でも不幸なサムライ 花園で眠れぬこともあるんだよ」というくだりを聞いた時、理屈抜きに「そうか!男はそれでいいじゃないか!」と確信してしまった。人生は楽しむためにある、と多くの人は思っているようだが、楽しみや幸せといったものに敢えて背を向ける、そうしたある種の美学があってこそ、人生はより輝き、「個性」的に生きることもできるのではないか。今はそんなふうに考えている。

18:40 | - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

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